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2016年2月アーカイブ

向田観音の絵馬

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<志賀郷のむかしばなし> 向田観音の絵馬

向田観音の絵馬堂に 歌舞伎の名場面の絵馬がかかげられている
この歌舞伎は 「時桔梗出世請状」 という有名な芝居

 織田信長から 来客の接待を命じられた明智光秀が
 最高のおもてなしをしたところ
 信長は 「贅沢すぎる」 ときつく叱り 「光秀を打て」 と家来に指示

 小姓の森蘭丸が 鉄扇で光秀の額を 出血するほどに強く打った
 その場はがまん 退出した光秀であった

が この時の恨みが 後の本能寺の変の原因だったとも言われている

この絵馬は明治20年頃のものだが
村の大切な 雫松 揺るぎ松を 伐り倒した光秀に対する
村人の気持ちが込められているのかも・・・・・・・
また 舞堂で村人たちによって この芝居が演じられたのかもしれない

歌舞伎 絵馬.jpg

<志賀郷のむかしばなし>  福知山城の棟木になった七不思議

志賀郷の七不思議伝説のひとつ 向田のしずく松とゆるぎ松が
明智光秀に伐採され 福知山城の築城に使われたとの話がある

大正8年に発行された「何鹿郡史跡天然記念物」(何鹿郡教育会)に

「(光秀が)この2名木を伐り天守閣の棟木にした」
「明治初年の城の解体時 そのことを書いた棟札が発見され」
「志賀郷村に引き取りを頼んだが 村議がまとまらなかった」

と書かれている さらに別の本では

「福知の人々は志賀の名木だから返さにゃいかんと言い交渉したが
 志賀の人々は福知までもらいに行くのがかなわん 保存にも迷惑
 すると 断った」

と書かれている

<余話> 福知山の郷土資料館に聞いてみたが
       棟札のことはわからないとのこと
       天守閣の棟木は いったいどこへ行ったのか?

       志賀郷公民館には 
       430年前の「しずく松の皮」と言われるものがあり
       このほかにも 地区内に二つの「皮」が残されている

雫松.jpg

<志賀郷のむかしばなし> 旅の僧が見た七不思議 3

茗荷祭の 翌4日 彼(野田泉光院)は柏在村平兵衛宅を辞し 篠田へ向かった

「 篠田までの間に峠あり 雪にて道分からず 」 も

同行の人の案内で篠田明神にたどり着き 同神社を参拝

「 社内に四間四方の玉垣あり しののめ竹藪三か所あり 雪深きこと二尺余
  その竹株の雪を除け 辰の刻(9時頃)に見れば二寸ばかりに生え
  それに弊を立て置き 昼時分には三寸から六寸の長さに
  神前に供え諸人に拝せしむ 」 と

書き残している

余話 200年前に彼が見た光景は 今私たちが見る眺めとほぼ同じようです
    当時 旅の僧は村人に歓迎されていた
    遠い他国の話を聞かせ 病人や臨月の人がいれば祈祷をし
    俳句や和歌の指導をする僧もいた
    そのお礼に 朝夕の御馳走や一夜の宿の提供を受けていたと考えられます
    (参照 綾部市史 資料編650頁~ 綾部市図書館蔵)



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