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2016年7月アーカイブ

<志賀郷のむかしばなし> 奨学金のさきがけ 2

彼 (北原与市) は 志賀小学校に明治25年から 12年間教員・校長として務めた
さらに 社会教育に力をそそぎ 青年達には夜学を開いて読書を勧め 人道を説いた

人間を作ることに重点をおいた「松下村塾」風であったと 志賀郷村誌は記している

また 婦人会や老人会を立ち上げ 村内限りの火災保険も立案している
退職後は村会議員や村長を務め 村誌には 「北原先生」 と題する伝記がある

篠田神社の石段下に遅岫婦人会の業績をたたえる石碑があるが
その碑文は彼によって書かれたものだ

彼は 和知の小学校にも長年勤務 そこでも社会教育に力を入れた
村人から大変感謝され現在廃校になった篠原の和知第2小学校跡校庭の隅に 
高さ3メートルほどの 「北原先生記恩之碑」 があり
和知町史にも数ページにわたり彼の功績が記されている

DSC_0472 碑.jpg

奨学金のさきがけ

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<志賀郷のむかしばなし> 奨学金のさきがけ 1

明治初年 志賀郷に北原与市という少年がいた 
彼は「神童」と呼ばれるほどの秀才で
村人たちはその才能を生かそうと資金を出し合い京都の師範学校へ送り出した

明治9年に創立された師範学校は 寮費も含め月4円50銭のところ
村からは月5円の送金があった

2年半後の明治16年卒業 龍河校 (当時金河内にあった) を皮切りに
35年間何鹿郡や」船井郡の学校に勤めた

村から送ってもらった学費は 勤め始めた年から20年ほどかけて返済した
これは今で言う奨学金 

130年以上前に この村で奨学金のしくみが作られていたのは驚きだ
志賀郷村が いかに教育の重要性を考えていたかわかる


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