<志賀郷のむかしばなし> 「 夜嵐伝説 」 その6
夜嵐の本名は仁右衛門尉忠之と言い 父諏訪相模守九郎兵衛と共に
信州から志賀郷へ移り住み 刀を鍬に持ち替え農業に従事した
そのお墓 「先祖塔」 は 志賀小学校西側の丘に建っており
子孫の梅垣氏が供養を続けている
余話
夜嵐の屋敷跡には 大正11年志賀郷公会堂が建てられた
それ以前には 「常小屋(じょうごや)」と呼ばれる芝居小屋があり
秋には芝居が上演され露店も出てにぎわったそうだ 若宮神社の御旅所にもなって
神輿が渡御 笛や太鼓が夜遅くまで鳴り響き 村人の楽しみが続いたという
こんな人が本当にいたのか?
大男 力持ち 信仰心厚く 働き者 そんなことで 村人からよほどの人望を集め
「偉い人だった」という話に尾ひれがついて 今の様な伝説になったのではないか
最近のコメント