志賀郷の名所案内


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向田の観音さん(毎年8月17日)

「向田の観音さん」として親しまれている祭事が、本尊「聖観音菩薩」が奉られる向田町瀧本山長福寺で毎年8月17日に行われています。
天正七年の頃に明智光秀が、家来の岡部山城守の別所町の願成寺の六坊山伏討伐の戦功に 「聖観音像」を与えたのですが、山城守がその像を持ち帰る途中、向田の長福寺での休息の際、観音像が地に根が生えたように動かなくなり、自らも不動の金縛り状態となったと言われています。
山城守は霊験を恐れ、この地に奉安して自ら給侍したとの言伝えがあります。

この観音様は眼病に霊験あらたかとして親しまれてきた有名な仏様で、祭礼の夜には本尊御開帳と大品般若経六百巻による祈祷がなされ、向田観音踊りを勤行として修められます。

昔は長福寺の参道には多くの出店が立ち並び賑わいを見せていましたが、時代の移り変わりとともにその姿を消しつつあります。
平成七年から地元有志によって、この夜に火文字が奉納されるようになり、向田川に映る 灯りは幻想的な風景を生み出しています。

向田の観音さん 向田の観音さん

奥山桜

「奥山」(内久井町ウチグイチョウ)は、長い年月地域住民の手によって育て守られてきた森林です。 (峠を越えれば、そこは丹後・舞鶴へ続き、由良川へ通じる道もあります。)
今、その奥山に新しい桜の名所作りが進行中です。

1993年、地域の女性の皆さん(当時の婦人会)の手によって植樹が始まりました。 その活動が「志賀郷に桜を育てる会」に引き継がれ、今では400本を数えるまでに なりました。

~森の気を浴び、桜を愛でながら、人々が交流する場に~

そんな地域の夢を、これからも育てていきたいと思っています。

奥山桜 奥山桜 奥山桜

■「志賀郷に桜を育てる会」の活動

220ヘクタールの面積を持つ広大な「奥山」は、地域住民の手によって植林され、社団法人「志賀郷和会」が管理する美しい共有林です。
「志賀郷に桜を育てる会」は、「奥山」を住民の憩いの場所にするため、桜の名所作りを進めています。活動は、志賀郷和会と自治会連合会に支えられ、財団法人日本花の会から桜苗の助成を受けています。(奥山は、山中を府道490号線が通っていますが、登尾峠で行き止まりとなっています)


【1993年11月】
地区婦人会が各団体に呼びかけ、奥山の府道沿線に桜の植樹開始される

【1998年】
志賀郷和会が、桜植栽地に「ふれあいの森休憩所」を設置される

【2000年】
志賀公民館と郷和会によって、手作りの腰掛け階段を設置される

【2001年】
婦人会員、婦人会OB会員によって、ボランティアで草刈りを開始される

【2002年】
日本花の会創立40周年記念の全国公募「後世に残る桜の名所づくりモデル事業」に選定され、奥山一番地ぬた場の尾根にヤマザクラの森づくりが開始される

【2003年】
公民館主催「ふるさと歩こう会」を、奥山ぬた場コースで開催される(綾部市の健康ウォーキングモデルコースに選定される)

【2005年】
向日市・綾部市友好交流ウォーキングが、奥山ぬた場コースで開催される。「奥山」が「向日市民の森」となる。

【2007年】
奥山ぬた場のヤマザクラの生育調査に日本花の会から来訪を受け、中丹広域振興局農林室とともに現地視察、検討会を行う。

【2008年】
立命館大学学生15名の視察・研修を受け入れる。
グンゼ綾部本社の従業員ボランティア23名が、奥山ぬた場でヒマラヤザクラを植樹する。

翁面

七不思議伝説のひとつ「茗荷の神事」を伝える阿須々伎神社には、祭礼に能・狂言・太刀振などの芸能を奉納する慣わしがある。
南北朝時代の翁面など古面が坊口町に伝えられており、当時猿楽などを演じ奉納したことが、これら芸能の始まりではないかといわれる。
現在、能や狂言は演じ手がなく存続が危ぶまれている。

翁面 翁面

夜嵐伝説の大石

その人は清和源氏の末裔、とにかく怪力の持ち主。夜陰好んで家僕を従え自ら鋤を牽く。その速さは牛の数倍。故に里人はその人を「夜嵐」と呼ぶ。
ある時、寺に寄進せんと奥山の大石を背負い金河内に至る。火事の知らせを聞くや大石をその場に置き急ぎ帰宅。事がおさまり再び大石を背負おうとするも、根が生えた如く大石は動かず。その大石は今金河内の路傍に在る。
また或る時、外風呂にて母親を入浴させているとにわかに大夕立。風呂桶もろとも屋内に担ぎ入れ母を安心させた。
などなど、その人「夜嵐」にかかわる伝説は数多く伝わり、志賀郷には「夜嵐」の墓碑もある。

夜嵐伝説の大石